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CONTAX Planar 85mm f1.4 AE-G

 フイルムカメラ時代のレンズを「オールドレンズ」と称して、マウントアダプターを介しデジタル一眼で撮影するスタイルは、ミラーレス登場初期から存在していましたが、フルサイズミラーレス一眼SONY-α7シリーズの登場でそのブームに一気に火が付きました。ミラーレス一眼はその構造上、レンズマウント面からセンサーまでの距離(フランジバック)が短く設計できるために、マウントアダプターを挿入する物理的余裕があり、登場当初からその撮影スタイルが存在していましたが、オリンパス・パナソニック陣営のM4/3フォーマットを始め、ミラーレス機は35ミリフイルムのフルサイズより小型のセンサーを採用した機種ばかりで、マスターレンズの画角を100パーセント利用できる環境はα7の登場までお預けだったからです。2018年後半になり、キヤノン・ニコン・パナソニックといったメーカーからも相次いでフルサイズデジタル一眼が発表になり、このアダプター撮影は一過性のブームではなく、今後は撮影ジャンルとして、確固たる地位を持つものとなるでしょう。

 そんな中で、最も脚光浴びている「オールドレンズ」の一つがヤシカ/コンタックス時代のZeiss製交換レンズです。フイルム時代から数々の名作や伝説を作ってきたそのレンズの描写を、ぜひともデジタルで楽しんでみたいというのは、多くのカメラマンの夢であることでしょう。事実、フイルムカメラボディーの中古相場がほぼ壊滅的状況となる現在も、一部のレンズにはフイルム時代と同じか場合によってはそれ以上の高値を付けるレンズが散見されるのです。本レンズも、フイルム時代から高い人気を誇り、京セラ・コンタックスがカメラ事業から撤退した現在でもZeissを代表する銘レンズとして、常に安定した相場で取引が続けられています。

 Planarといえば、そのレンズが持つ像面の平坦性と画面全体における画質の均一性から「平坦を意味するドイツ語Planを語源に持ち、長きに渡りローライフレックスやハッセルブラッドなどドイツを代表するカメラの標準レンズとしてその人気を不動のものとし、35ミリフイルムを使う日本製コンタックス一眼レフにおいても、「Planar」を使うためにボディーを購入するユーザーが存在するほどの看板レンズとなりました。とりわけ本85㎜は中望遠独特の緩い遠近感の圧縮、浅い被写界深度と適度なボケ量、被写体との絶妙な距離感といった物理的なレンズの特徴と、特有の合焦面の繊細な解像感と絹のベールを纏ったかのような解放付近の独特な描写、前後の溶けるような美しいボケ味から至高の「ポートレートレンズ」として、多くのカメラマンが愛用しました。

 長期に渡る製造のため、製造国・対応撮影モードの違いによって3種のバリエーションが存在する中で、最初期モデルをマウントアダプターを介し、M4/3フォーマットで170㎜相当の画角で試写しました。この括りはあまり好きではありませんが、時代を超えた「オールドレンズ」ならではのその特徴ある描写をご覧ください。

 

 

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実像感を残しながら、なだらかに溶けてゆく後ボケ。プラナー85の最大の特徴です。近代レンズのような切れ味はありませんが、合焦部の解像感も及第点です。

 

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撮影時は薄曇りでしたが、微妙な色彩の違いを綺麗に描き分けます。AEタイプのバージョンは絞りf2.8付近では羽の形状が風車状になり、条件によってはボケが乱れる原因になりますが、割り切ってその辺りの絞りを使わず、解放で撮影してしまえば問題ナシです。

 

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お手本のようなプラナーの玉ボケ。高解像度レンズではボケのエッジがもうすこし目立ってくるケースもありますが、絶妙なボケ具合です。

 

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前ボケは特徴的な滲みを伴う独特の美しいボケ。こんな冒険的な構図もその魔法でモノにしてくれます。余談ですが、85㎜f1.4は、初期のマニュアル露出・絞り優先AEに対応したドイツ製(通称AE-G)、のちプログラムAEなどのマルチモードAEに対応した(MM-G)、製造国を日本へ移した(MM-J)の3タイプ。絞り羽根の形状を改善したMMタイプ(最少絞りf16がグリーンに塗装)のドイツ製が市場では一番人気です。(ただし生産本数も多くはありません)

 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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