SONY FE 90mm f2.8 Macro G OSS (SEL90M28G)

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 車に興味がある方でしたら、トヨタ自動車が販売するGR86(先代名86)はSUBARUが生産するOEMだという事は良く知っておられるのではないでしょうか。分かり易い数字の車名ですから、ナンバープレートをお揃いの「86」番にしている個体にも良くお目にかかりますが、以前に一度だけ「86」ナンバーを付けたSUBARU BR-Zを見かけた事があり、オーナーさんはなかなかにトンチの効いた方だなぁ、と感心したのを覚えています。企業規模・車名の知名度ともに「86」が圧倒的なのでしょうが、なんとなくBR-Zの方を推したくなるのは個人的郷土愛ということでご容赦願えればと。

 カメラやレンズにも当然ながらOEMは存在していますが、販売会社・製造会社ともにその事実を公言する事は一般的には希です。しかしメーカーのホームページや製品のマニュアルで光学系の図面を公表するケースも多い「レンズ」の場合、双方を見比べれば一目瞭然ですからある種「公然の秘密」と言えなくもない場面もあります。少し前の話(と言ってもフイルム時代)になりますが、Leica社の一眼レフRシリーズ用の交換レンズとして発売された Vario-Elmar (バリオエルマー)R 28-70 mm F 3.5-4.5 が、日本のSIGMA製 UC ZOOM 28-70mm F3.5-4.5 のOEMなのではないかと言う噂にカメラファンはざわめきました。それもそのはず、定価20万円弱のLeica高級レンズの中身が、高校生のお年玉でも買えた我らがSIGMAのズームレンズ( 0 が一個消える程度のお値段)だと言うのですから。当時の月間カメラ雑誌にも比較の検証記事が載ったほどで、それによると両者の描写傾向は非常に似通ったものでありつつ、Vario-Elmarの方が、解像度や画面平坦性、収差の小ささなどの点で、より優秀な成績を示したという結論を出していたと記憶しています。勿論これはブランドへの過剰な忖度などではなく、使用する鏡筒の部材や品質、組み立て方法や精度にしっかりとコストをかける事によって、OEM元の設計技術の確かさが証明された事実を意味します。現在のSIGMAの礎を改めて確認できたとも言えるでしょうか。できることなら、過去に同レンズを「バリオシグマー」などと囃し立てていた自分に「黙ってSIGMAの株を買っておけ」と伝言する為のタイムスリップをしたいものだと心底思う今日この頃なのです。

 さて、なぜOEMについてスペースを割いたのかと言いますと、それはフルサイズSONY-Eマウント用の中望遠マクロレンズが 90mmという焦点距離でリリースされているからなのです。ご承知の通り、SONYのカメラ事業の源泉はMINOLTA。デジタル一眼レフのαシリーズをリリースするにあたり、当初MINOLTA ( Konika-MINOLTA ) 時代のレンズ資産の多くを引き継ぎました。当然ながらフイルム時代その性能に高い評価を与えられた100mmのマクロレンズも、型番 SAL100M28として継承されています。ミラーレス一眼αの時代へと移り行く中で、それらレンズ群はミラーレス専用設計の新レンズへと置き換えられることになりますが、中望遠マクロとして SAL100M28 を置き換えたのは SEL90M28 。すなわち90mmへと焦点距離が変更されたのです。察しの良い諸兄であればピンときたかもしれませんが、この新しい90mmのマクロレンズはひょっとしてTAMRON SP 90mm F 2.8 マクロ(通称タムQ)のOEMではないか?と想像が働いたのです。TAMRONと言えばSIGMAと人気を分かつ老舗交換レンズメーカー。とりわけ90mmのマクロレンズは、フイルム時代からリファインを続け人気を集める同社の看板レンズですし、SONYはTAMRONの大株主でもあるという資本の繋がりもあるので、これはもう文春ばりの特ダネを掴んだ気にもなりましたとさ。まぁ、その得意気分は両社のホームページ上に公開された各々のレンズ構成図によって一瞬で木端微塵になったのですが・・・・。ちなみに本レンズの登場から遅れて、2024年にTAMRONからもミラーレス専用設計のタムQ(Model F072)が発売され、再び「これは!!!」と思わされたのですが、やっぱり違う光学系というオチ。

 こうして、SEL90M28出生の秘密はゾーン0漆黒の闇へと葬られた訳ですが、操作性の非常に良い幅広のピントリングと効果の高いレンズ内手振れ補正の搭載を果たした本レンズは、目下愛用中のMINOLTA 100mm マクロが座る椅子を虎視眈々と狙っているのかもしれないのです。(我家の洗濯機さえ壊れなければ・・・・・・)

 

 

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前後のボケの様子が分かるような被写体を選択。やはりマクロレンズはボケが硬いというのは、すっかり過去の常識になりました。前後均質で柔らかなボケ像は良い塩梅で合焦部を引き立て、金属部材の質感、合焦部の先鋭度も文句の付けようがありません。

  

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円形絞りを採用していますので、少し絞った辺りでも玉ボケが多角形になってしまうのが抑制されています。細かなおしべをキッチリと解像し花びらと葉の質感も見事に描き分けた上で、ボケ像の柔らかさも加わる隙の無い描写。世代交代を余儀なくされたMINOLTAの100mmもこれなら後輩に喜んで道を開けた事でしょう。

 

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この画角(マクロの90mm)は、最近ではマイクロ4/3用の45mmを使用する事が多かったので、被写界深度が浅くて油断しました。ピントを送りながら数カット撮影しましたが、フォーカス位置によって得られる映像がかなり変化する為、奥行きのある被写体の場合はどこに合焦させるか慎重に考えないといけません。フルサイズの撮影は、やはり難しいと実感。質感・立体感ともに美しく、SLならではの機能美をしっかり映像化してくれます。

 

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倉庫内に雑然と並べられた機械部品を俯瞰撮影。驚いたことに、オリジナル画像では部品の下に敷かれた新聞紙の文字を読み取る事が出来るほどに解像されています。6000万画素とそれを生かし切るレンズの性能に再度驚かされました。

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大胆に前ボケを入れました。悪目立ちしやすい小枝ですが嫌な二線ボケにならないところは、さすが「G」レンズと言ったところでしょう。難しい光線状況ですが、すっきりと透明感のある描写です。

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日陰に入るとカメラは少々不安になるシャッタースピードを表示してきます。こんな時は手振れ補正が本当に助かります。フイルム時代は現像後に三脚使用をためらった自分を呪ったりすることもありましたが、手振れ補正+現地での映像確認によって救われたカットが随分と増えました。そういった面でのストレスはデジタルカメラになってかなり軽減されたと実感しています。

 

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フードの内面に反射した斜光が悪さをしたのか、画面上部がちょっとハレっぽい感じになりました。大型のしっかりとしたフードが付属しますが、状況確認を怠った撮影者の非ですね。ハイコントラスト下の硬質被写体ですが、キレキレのガチガチにならないのは意外です。退役した老齢車両への労りさえも感じるような優しい描写です。ポートレート撮影でも「タムQ」の良き好敵手となるでしょう。
 
 
 

SIGMA 20mm F1.4 DG DN | Art (SONY-E)

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 人生も50年を過ぎました。戦国時代ではないですから「終着点」だとは考えていませんが、「折り返し地点」はとっくに過ぎたと思っておくのが、まぁ妥当でしょう。孔子曰くの「天命」はいまだ悟れずじまいですが、「これまでの常識が変わる」といった体験に遭遇する事もそれなりにあった50年です。そして現在、自分の中の「超広角レンズにおける常識」が絶賛変更中なのだ、というのが今回の本題なのです。
 「【超】広角」レンズ。35ミリ・フルサイズでは20(21)mm以下の短い焦点距離のレンズの事をこう呼んだりします。その名の通り、非常に広い画角や強烈な遠近感の誇張という描写上の特徴を持ち、視覚とかけ離れた写真ならではのダイナミックな映像を手に入れる事が出来るのが魅力でしょう。焦点距離の短さからくる被写界深度の深さはパンフォーカス撮影を容易にし、スナップや風景の撮影でも存在感を光らせます。「一眼レフ」時代は、レンズ後端とフイルム面との間にクイックリターンミラーを配置すると言う設計上の足枷があったため、主に10mm台の短焦点レンズでは「出目金」などとも呼ばれる巨大な前玉を配した設計を採用するケースが多く、外観にもその「特殊性」がよく表れていました。現在では、新たな光学素材の実用化、様々なレンズ成型や設計技術の向上に加え、デジタル補正の併用やカメラ本体のミラーレス化が設計の自由度を増したことで、外観上の特殊性はかなり薄まったと実感できますし、単焦点よりも設計が困難であるはずのズームレンズでさえ14mmや16mmといった短い焦点距離をワイド端に持つレンズも随分と増えていますから、「短」焦点レンズと言えば「単」焦点が当たり前(ややこしい・・・)だった1980年代に写真を始めた筆者の常識はすっかり過去のものになったと言えます。
 スペックや描写性能についても然り。前述の通り、一眼レフ用の超広角レンズには設計上の制約から、主に画面周辺での画質や光量確保といった性能面での課題が残った物も多く、その為描写に「癖」が残ったレンズが多い印象でした。ボケ味を犠牲として解像度を確保したと想像できるようなレンズや、絞り込んでも周辺部の解像度が一向に向上しない物、解放 f 値を3.5や4と控えめに設計(描写を損ねる収差の多くは、絞りを小さく(f値は大きく)すると改善される)されたレンズが多くを占めるというのも言わば「常識」だったのです。一眼レフ用Nikkorの20mmを例とすると、登場時は解放 f 4だったレンズが後に f 3.5 となり、最終的には f 2.8 へ到達するなど、そこに光学設計の進歩を見る事が出来るのも特徴の一つと言えるかもしれません。
 さて、35mm f 1.4 や 50mm f 1.4など、これまでカメラメーカー純正の独壇場だった製品へ真っ向から挑戦することで、その歴史を刻み始めたSIGMAのArtシリーズレンズですが、20mmレンズへは「世界初」の明るさを冠して「SIGMA 20mm F1.4 DG」を投入しました。「一眼レフ」用設計の為、出目金スタイル(レンズ前面へのフィルター装着ができない)での登場ではありましたが、設計上の制約も多く描写性能の確保が難しい事を歴史が証明している焦点距離の製品へ、f1.4 というスペックでの降臨ですからその衝撃はなかななの物でした。周辺部での残存コマ収差など幾ばくかの欠点は指摘されるものの、旧製品群とは一線を画す描写性能に再度驚かされたのです。
 そして、カメラ本体の本格的ミラーレス化を受け、DNシリーズへの改修を受けた本レンズは、口径82mmのフロントフィルター装着へ対応しただけでなく、外観も大幅に小型化。重量にいたっては400g弱のダイエット(ソニーEマウント対応製品で比較)を果たすなど、ミラーレス化の恩恵を最大限に生かす近代化改修が施されました。描写性能のみならず、フォーカスリングの無効化を設定するスイッチや、結露・凍結防止用の保温装置装着を意識した意匠を採用するなど、曰くの「究極の星景レンズ」として愛好家からの評価を不動のものとしています。無限遠に存在する点光源は写真レンズにとっては最大の難敵とも言えますから、それを制したと言っても良い本レンズへのレビューは一種の不敬罪に当たるのではないかと心配にもなります。直販サイトでの価格137,500円(2025年5月現在)は、スペック・描写性能を考えると、これもまた「常識」外のバーゲンプライスという事になるのかもしれません。
 
 
 

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画角の広いレンズを手にすると、とりあえず空を見上げてしまう単純な筆者。雲のディテールを残したいので、かなり暗めな露出値を選びます。少し絞れば周辺部まで全域が超高解像度となる優秀なレンズです。星空を撮影する機会は殆どありませんが、本レンズが星空を撮影する為の究極の一本である事は、日中の撮影であっても存分に証明されていると感じます。

  

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20mmという焦点距離でボケを意識した撮影ができるのは、1.4と言う解放f値最大の恩恵。「超広角+解放絞り=欠点や癖の見本市」という図式は完全に過去の物に。合焦部の解像度は解放から十分な実用性を誇り、奥行きを増すごとに大きくなるボケ像も非常に素直です。隔世の感という言葉は、こんな時に使うのだなぁと実感。

 

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薄暗がりでも頑なにISO感度を上げないのは、フイルム時代に写真を撮りすぎた古い人間の性なんですかねぇ。1.4の解放絞りがとても有難く感じるのです。20mmとはいえ、解放ではさすがに被写界深度が浅くなりますから、雑なピント合わせはご法度ですね。

 

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ほぼ最短に近づいての解放描写。胸像の眼の部分にフォーカス。背景部分は細かな凹凸を含んだレリーフ、さすがに乱れたボケ像を覚悟したのですが。。。。。

 

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塗装修繕中の電気機関車です。塗料の飛沫が外部へ飛散しないよう目の細かい防護ネットが張ってありますが、その微細な編み目を周辺まできっちりと解像しているのはもはや脅威に感じます。開放から十分に実用になるシャープネスを誇りますが、絞り込めばさらに先鋭度を増します。

 

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ボケ像が想像を超えて素直なので、なんとか欠点を見つけてやろうと悪意を持って撮影した倉庫のカゴ車です。なんでこんなに普通に写ってしまうんでしょうか。完敗です。

 

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水準器も三脚も使わず、ファインダーの映像とカンに頼っての撮影です。デジタルでの歪曲収差自動補正を利用していますが、20mmレンズの描写として、かつては想像もできなかった様な端正な画像が入手できます。最近は三脚の出番がめっきり減りましたが、ここまでレンズの素性が良いと、しっかりと三脚を使用して、水平・垂直を追い込みたくなります。学生時代の建築写真の講義を思い出しました。

 

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通常の撮影では、小型のセンサーを採用したマイクロフォーサーズの画像に不満を抱く事はありませんが、遠景の被写体が小さく写ってしまう超広角レンズでは、フルサイズセンサーの大きさに由来する「ゆとり」の様な物がアドバンテージとして確かに存在するのだろうと感じています。遥か遠くの高圧線鉄塔も、非常にリアルに描写されます。

 

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ボケを効果的に利用出来ることで、今まで向き合えなかった被写体に出会えることができます。撮影の幅を広げ、表現の引き出しを増やしてくれるてくれるレンズとの出会いは、何とも言えない高揚感を与えてくれます。

  
 
 

SIGMA 85mm F1.4 DG DN | Art (SONY-E)

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 「単焦点レンズが欲しいんですけど」・・・・・

そんな、主に若い世代のお客様のご来店を頂くことが増えました。

 「はい、ではこちらになります」

とおもむろにReflex Nikkor 2000mm f11(全長約600mm・口径約260mm 重量約17.5Kg)を持ってくるほど、小生根性が歪んでもいませんので、

 「どんな物を撮りたくて、何mmぐらいのレンズをお探しですか?」

と、深堀します。すると

 「写真始めたばかりで、そういうの良くわからなくて・・・・」

 

 これまで「単焦点」レンズを欲するお客様は「135mmのレンズで、明るめのレンズってありますか?」といった具合にある程度は商品やスペックを絞った相談を頂く、いわば写真撮影の経験をそれなりに持つ方であるケースが多かったので「良くわからなくて・・・・」に、当方少々面を食らいます。その後しばらく会話を続けると、どうやらネット上のブログ記事・インスタやXの投稿・インフルエンサーの動画レポートなどで、「単焦点は明るい」「単焦点はボケる」「単焦点は良く写る」といった様なワードに感化され、「単焦点レンズ」を欲しくなってはみたものの、実際「単焦点レンズ」とは何ものなのか、当のお客様は完全には理解してはおられないのだ、という結論に達します。

 そもそもの写真用レンズは「単焦点」が原点で、フランス人ダゲールによる銀板写真の発明(1839年)を始点とするのであれば、ズームレンズの始祖フォクトレンダー・ズーマー 36-82mm f 2.8の登場(1959年)までの120年は「単焦点」レンズしか存在しなかった計算になります。老害認定を受ける世代に片足突っ込んでいる筆者などは、いまだにズームレンズの方が特別なレンズといった感覚を捨てきれずにいますが、ここ30年(2025年現在)でズームレンズのセットを購入して写真を始められるようなスタイルがすっかり定番化した事で、「カメラ」が「デジタルカメラ」の代名詞となったのと同様、「レンズ」という言葉の中へと「ズーム」が内包されたと考えるのが自然な流れなのかもしれません。逆説的には「単焦点」という言葉に、時代背景によって新たな特殊性が付与がされたと言い換えられるでしょう。こう考えれば「単焦点レンズが欲しいんですけど・・・」からの一連の流れは、なるほど腑に落ちる話かと。「普通ではないレンズ」を使っている新しい自分に出会いたかった。そんなところでしょうか。

 さて、単焦点レンズ数本から時に10本以上にまで値する画角を自在に扱えるることはもちろん、昨今は物理的な性能も十分以上に高く、過去「単焦点」レンズの独壇場とも言えた明るさ、それさえ匹敵する製品もちらほら見かけるようになるなど、ズームレンズの実用性・利便性・普及度は高まりました。大三元レンズなどとも言われるように、超広角から望遠までf2.8クラスの明るさを持った3本のレンズで賄えることが当たり前となりました。結果として「単焦点」レンズの特殊性は、ある意味、より際立ってきたとも言える昨今、SIGMAはそのラインナップの頂点であるArtシリーズに「単焦点」をこれでもかと揃えています。本レンズのような85mm f1.4 クラスと言えば、かつてはメーカー純正にしか存在しない一種花型レンズの代表で、どちらかと言えばレンズメーカーが手を出さないスペックの製品でした。「Art」シリーズは、そんな過去の不可侵領域においてその存在感をますます増しています。SIGMAのレンズが使えるならボディーメーカーにはこだわらない。現在そんな考え方も、決してマイノリティーではなくなったのでしょう。SIGMAの「Art」できっと新しい自分に出会えるに違い無いのです。

 

 

 

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被写体は人物ではないですが、「ポートレートレンズ」としての存在価値を存分に感じられる一枚。繊細なピントを見せる合焦面と、前後になだらかに広がるボケ像。距離の離れた背景は溶ける様に滲み、印象的な玉ボケが良いアクセントになります。かつて、カメラ雑誌の表紙を飾ったアイドルポートレートに写真家への憧れと尊敬の念を抱いた少年時代を思い出します。

  

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開放 f1.4 では大口径中望遠らしく被写界深度は極薄で、合焦点から少し離れた位置でも大きなボケを発生させます。奥行のある被写体では、ピントの合った場所の面積は非常に僅かとなるため、作者の狙いに直結した構図を作り易いとも言えます。

 

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背景には実際は小枝が写っているのですが、大きなボケによって川の流れをスローシャッターによって写し留めたような描写になりました。肉眼では実現されない大きなボケを伴った画像は、まさに写真ならではの表現。実際にファインダーを覗いて初めて気づく世界があるのも写真の醍醐味ではないでしょうか。

 

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十字架が想像される被写体を目にすると、思わず写真を撮りたくなる性分。駐車所に置かれたコーンの一部に近接して撮影。最短撮影距離は85cmと無難なところですが、そこは専門外といったところでしょうか。被写界深度は激薄になりますので、息を殺して撮影。風化した樹脂の独特な質感が何とも言えません。

 

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大口径中望遠レンズですから解放絞り付近での描写性能に注目するのは当然ですが、絞り込んだ時の強烈な高解像度の描写についても追記しなければなりません。ほぼ逆光に近い条件ですが、壁面のコンクリートの砂粒や気泡による微細な凹凸を寸分の隙も無く描き切る細密描写が、画の力強さを土台から見事に支えてくれます。モニターで拡大しても全く破綻を見せない画像に思わず「エグいな~~~~」と声が出ます。

 

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絞りによって描写の表情に変化を見せるレンズを「絞りの効くレンズ」なんて言ったりもします。最近の高性能なズームレンズは、開けても・絞っても変化の少ない高性能ぶりを発揮してくれますが、単焦点レンズ、特にその解放描写には性能数値には表れない独特の「味」とも言うべき成分が宿り、手元にはそんなレンズたちが多く残っていきます。

  
 
 
 

MINOLTA AF 100mm f2

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 工業製品においては、メーカーからの卸売り価格に大きな差が生じにくく、販売価格も一定の幅に落ち着きやすい「新品」に比べ、「中古」商品の価格には様々な理由で広い「幅」が存在しています。「中古車」で例えれば、年式・走行キロ数・修理歴・車検・塗装色・グレード・オプションや改造の有無等によって、一見同じように見える車種であっても、ある店舗では30万円なのに、別の店舗では200万円の売価がついている、なんて事もよくある話です。加えて、何かしらのきっかけで「人気度」や「希少性」といったパラメーターに上昇フラグが立つと、相場が急騰するのも良く見る光景で、SNS普及によって情報の拡散にマッハの追い風が吹く今日では、某キャラクターの図柄が印刷(一部省略)された新品売価数百円のカードに100万円以上の値が付けられたり、地元(架空)の豆腐屋が配達に使っていたという理由(かなり省略)で、それまで数十万円だった中古車の相場が数倍の価格につり上がったりといった事象も、そう珍しい話ではなくなりました。自身が携わる業界に於いても、昨今のフイルム・オールドレンズ・CCDブームによって、数年前は見向きもされなかった商品に、目を疑うような高値が付けられてフリマサイトで取引されているのも茶飯事で、驚きを通り超えて人間の業の深さに思わず祈りを捧げたくなる心境にもなってきます。

 さて、なぜこのような書き出しで始まったのかと申しますと、今回取り上げるMINOLTA AF 100mm f 2 は、中古ならではの特徴的な値動きを見せるレンズとして、とても数奇な運命を辿っているからです。100mm f 2 と言うスペックのレンズは、2025年現在カメラメーカーが販売する純正レンズとしてはその姿を見る事はできませんが、フイルム時代には多くのメーカーがラインナップに加える言わば定番レンズの一つでありました。有名処としては、YAHICA/CONTAX用のZeiss Planar 100mm f 2、オート―フォーカスに対応した比較的新しい(それでも四半世紀前ですが)レンズとしては、Canon EF 100mm f 2や、Nikon Ai AF DC-Nikkor 105mm f 2 D(ニコンは伝統的に105mmを採用しますね)辺りが頭に浮かんできます。更に遡ってマニュアルフォーカス時代なら OLYMPUSのZUIKO 100mm f 2 や Canon New FD100mm f 2 なども知名度は高いでしょうか。明るさをさらに半絞りほど明るくした Nikon Ai Nikkor 105mm f1.8 S も一応は仲間に入れておきましょう(さらに古いものは割愛という事で)。MINOLTAはと言えば、まだカメラの自動露出(AE)が一般化する以前のAUTO TELE ROKKOR-PF(ロッコール)とその後継 MC ROKKOR-PF 時代にその存在を確認できますが、ボディーのマルチAE化に対応させた MD ROKKOR シリーズへは引き継がれませんでした。そして MINOLTA α7000 登場の後、オートフォーカスレンズ(Aマウント)として、復活を果たしたのが本レンズという事になります。

 そんな各社から発売されていた100mm f 2 は、適度な遠近感の圧縮や明るい解放 f 値による豊かなボケを生かした特徴から、ポートレートなどに向くレンズとして重宝される一方、各社がポートレート用看板レンズとして掲げる85mmの f 1.4や1.2 クラスのレンズの陰に隠れがちであり、また明るさを1絞り我慢すれば、近接撮影も可能となる 100mm f 2.8 のマクロレンズや 70-200mm・80-200mm の大三元ズームレンズの利便性が手に入る事もあって、購入の選択肢から外れてしまうといった、ラインナップ中「微妙な立ち位置」のレンズという印象がどうしても強くなります。結果、販売本数が伸びず販売終了となるのですが、後に「珍品」「希少品」といった肩書と共に中古価格が上昇し、新品時を超えた売価で中古が取引されることも珍しくない人気商品になるところが、「物」相手とは言え、少々哀れにも思ってしまう、そんなレンズの一つなのです。

 当然MINOLTA AF 100mm f 2 にもこの事実は当てはまり、α7000 シリーズ用の交換レンズとし初期からラインナップされつつも、その後多くのレンズがデザインのモダン化を受けた <New>シリーズへと刷新される中で、その改変を受けることなくひっそりと製品群から姿を消してしまいます。人気・評価ともに非常に高かったAF 100mm f 2.8 MACROの存在もあってか、製造本数もあまり多くは無かったのでしょう、その後の中古市場でレア玉としてプレミア化し、当時中古業界に顔を出し始めていた筆者も、年に1~2本お目にかかるかどうかという状態だったと記憶しています。

 しかし、本レンズの運命はデジタル一眼のミラーレス化に翻弄される事になります。いち早くミラーレス化に舵を切ったSONYのカメララインナップからは、Aマウントを採用した一眼レフは早々に姿を消し、フイルム時代のMINOLTAから受け継がれてきたAマウントの資産を有効に活用できる未来が、早い段階から閉ざされてしまいました。マウントアダプターを併用してのミラーレスαでの利用は可能ではありますが、実用品としての存在価値に黄色信号が灯ったことに変わりなく、市場は冷酷に反応しました。多くのAマウント交換レンズ中古相場は急落し、それはプレミア価格を誇った本レンズも例外にはならなかったのです。かつては希少だった存在も、市場への相次ぐ放出からオークション・フリマサイトでも散見されるようになり、その取引価格も、依然として高値で安定していた ZUIKO や Canon New FDに比べれば、見る影もない程に落ち着きを見せてしまったのです。

 肝心な描写性能はと言えば・・・・。それは、下記作例に伴って記述を進めたいと思うのですが、今現在の中古相場は、このレンズの真の価値には決して見合ったものでは無い、と思うのが個人的な感想なのです。果たして本レンズのこの数奇な運命に、今後また新たなページが刻まれることはあるのでしょうか?

 

 

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絞り解放では、控えめなコントラストと実像感を残しつつもとても柔らかいボケ味が心地よく、まさにポートレンズに向いたレンズとの印象。MINOLTAのレンズは、かつて大先輩の篠山紀信氏が週刊誌の表紙を飾ったポートレートの撮影で使用していたエピソードも有名ですが、なるほど本レンズにはその血統が脈々と受け継がれているのでしょう。

  

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一段絞ると、全体的にコントラストも立ち上がりシャープネスも向上します。合焦部の力強さも増して画面全域がきりっとした良像になります。首都高で渋滞に捕まった際に助手席から撮影した道路の壁面ですが、金属やコンクリート、それぞれの質感も良い感じで描かれています。相変わらず懐かしい作動音を響かせる組み合わせで、AFは対象被写体に大まかに近づいてから微調整を経て合焦するという、これまた懐かしい挙動。ま、日常撮影では十分なスピードかと。

 

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最短撮影距離(1m)付近の描写。ボケの様子がわかり易いように、タイルの継ぎ目や文字の入ったプレートを画面に入れましたが、そのボケ像の素性の良さが伝わるかと。エッジを感じない優しいボケと、主張しすぎない品のある合焦面は、ポートレートへの好適性を再確認。

 

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遠景を切り取るスナップ撮影も100mmというレンズの画角が上手くマッチングします。斜光の当る小犬の毛並みや、ご婦人の靴裏のパターンなども非常に克明に記録されており、設計の古さを微塵も感じさせない安定描写は単焦点ならではでしょうか。前ボケの素性も良く、上手く遠近感を引き出してくれました。

 

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ビルの壁面に設置されたメンテナンス用?のリフトを遠方から撮影。外壁の細かなタイル一枚一枚が完璧に解像されて写っています。いわゆる高周波成分の多い被写体の為、ここまでレンズの解像度が高いと、ローパスレス構造のα7RⅣではモワレや偽色の発生が危ぶまれる領域です。晴天屋外の撮影なので、f11まで絞っての撮影ですが、回折の悪影響がでないギリギリの処でしょうか。f5.6~11辺りの描写は驚きの解像度を見せてくれます。

 

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陽が落ちかかってから海辺を散策。絞りの余裕はイコール、シャッタースピードの余裕に繋がります。フイルム時代からの名残ですが、撮影中にISO感度を変更するとアレルギーを発症(苦笑)してしまうので、感度ISO100のままで高速シャッターが切れるのは、明るい単焦点レンズの利点です。加えて、こんな被写体でもボケ像の品が絵づくりに貢献してくれるのは有難いです。

 

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ここまでの写真から、撮影地がパシフィコ横浜周辺である事に気づいた方もおられるでしょう。2025年カメラ・用品の見本市「CP+」へ出張した際の記録です。帰路に就く際、駐車場へのエレベーター前に素敵な景色が広がっていました。絞り込んだ上でハイライトに諧調を残すべく、かなり大幅なマイナス補正。路面アスファルトの粒が確認できる程の高解像度が重厚感ある一枚を届けてくれました。周辺にもカメラを構える来場者がチラホラいらっしゃいましたが、みなさん最新のズームレンズを利用されてました。(仕事柄、ついつい機材ウオッチしちゃいます:苦笑)余談ですが、本レンズはミノルタAマウントレンズでの採用例が多い55mmのフィルター径を採用。レンズフードはレンズ名が記載された専用品が用意されましたが、借用品の紛失・破損を恐れ、自前の100mmマクロ用のフードを流用しました(記載名以外は同じ物?)。希少レンズの場合、専用付属品も希少になるので、こんな小技も重要です。
 
 
 

SIGMA 105mm F2.8 DG DN MACRO| Art (SONY-E)

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 Macro < マクロ > レンズと言えば、(Nikonでは伝統的にMicro < マイクロ > と表記しますが、詳しくはニッコール千夜一夜物語を紐解いてくださいませ)主たる存在目的は「接写」という事になるでしょうか。被写体に接近して撮影することで、小さな被写体をより大きく撮影する事をマクロ撮影と言ったりもしますが、なぜ一部のレンズにその名が冠されるのでしょうか、釈迦になんとやらかもしれませんが一応概略など以下に・・・。

 写真用のレンズには最短撮影距離という、それ以上被写体に接近できない(ピントを合わせる事が出来ない)限界の距離が設定されています。この設定にはレンズの先端が被写体に物理接触をしない事も大前提ですが、その撮影距離における描写性能がしっかりと保証されているという大切な理由も存在します。このため一般的な被写体を想定して設計されたレンズであれば、おおまかにそのレンズの焦点距離を10倍したあたりの値がひとつの目安(50mmのレンズであれば50cm、100mmのレンズなら1mといった具合)になるのですが、実際この程度の接近ではマクロ(拡大)撮影とは程遠いのです。被写体にもっと接近し拡大率の高い映像を得るためには、描写性能のピークを近距離側へ寄せ、最短撮影距離を縮めた設計が必要になるのです。そして、こうして特別な設計を施されたレンズに「マクロ」の冠が与えられる事になるのです。

 マクロレンズは近接撮影時の高い性能を確保する為の制約上、その殆どが単焦点レンズとなり、また近似焦点距離の一般レンズに比べ、解放 f 値は大きく(暗く)なるという傾向がありますが、ミラーレス一眼の登場によってレンズ設計は劇的な進化を果たしていると感じる昨今でも、最新設計を施された本レンズでさえ解放f値が変わらず2.8と抑えられている点に、マクロレンズに課せられた描写性能の敷居が相当に高い事が想像できます。だからこそとも言えますが、マクロレンズに関してはその性能の高さが評価されてきたレンズがフイルム時代から多く存在しています。レンズメーカー製の近似スペックレンズに限っても、揺るぎない定評のあるTAMRON SP90mm f 2.8(旧製品はf2.5:通称タムキュー)や、カミソリマクロの異名を与えられた同社製マクロレンズ、70mmf2.8 EX DGといったところがすぐに思い浮かびます。従って、他の「Art」を冠するレンズ使用時に受けた強烈なイメージも残る中、ミラーレスに特化された本レンズへの期待値は相当に高いものとなったのは極めて自然な流れでした。

 外観は焦点距離の数値から判断する以上に「長い」印象。懐の深いフードを装着すれば、200mmレンズを思い浮かべるほどノッポな外観に。その長い鏡筒を活かしたとも言える全長の半分ほどを占める幅広マニュアルフォーカスリングは、操作感も滑らか且つ適度なトルクで好印象。嫌なアソビも無いので、AFに頼り切れない場面が多い接写時もストレス無く操作可能です。スイッチや絞りのクリック感も、他のArtレンズ同様に高いビルドイクオリティーによって支えられた安定・安心感があり、「モノ」としての存在感も極上です。肝心の描写性能は想像のさらに上を行くもので、開放では前後の美しいボケの中に浮かんだ極薄のピント面が、ある種の儚さを纏った趣で立ち上がり、一段絞ってあげれば、増した解像感が被写体の細部まで描き切ります。前後のボケ像も均質に美しく広がり、「マクロレンズ=硬いボケ」だった過去の定石などは木っ端微塵と言えましょう。

 フルサイズα用の中望遠マクロは2025年現在で、純正のレンズ内手振れ補正を搭載した90mmマクロ、ミラーレス特化を果たした最新タムキューを加えたまさに三つ巴。クレオパトラ・楊貴妃・小野小町を前にして、いったい誰が簡単に順位なんて付けられるというのでしょうか。

 

 

Dsc03235

最近ではマイクロフォーサーズフォーマットでの撮影が多いので、105mmと言うレンズの被写界深度の浅さにあらためて驚いています。その深度の浅さから極薄のピント面の解像度の高さが際立ち、繊細なタッチがアニメのセル画(これも死語に近いですかね)を見せられているかのように印象的です。無論合焦面だけでなく、前後のボケ像も周辺まで崩れない高品位な映像を得られます。

 

Dsc03255

さすがはシグマを代表するArtシリーズ。高い解像度と美しいボケ味で、日常の風景を叙情的に切り取ってくれます。「マクロレンズ=接写が得意」ではありますが、極端な接写でなくとも寄れる中望遠レンズとしての存在価値が非常に高いのが100mm前後のマクロレンズです。

 

Dsc03551

マクロレンズと言えば自ずと高い解像度を期待するものです。SIGMAレンズにはその強烈な解像感から「カミソリマクロ」の異名を持つ70mmのマクロレンズも存在しますが、本レンズも決して引けを取らない高い解像力を誇ります。オリジナル画像を拡大すれば、木製の柵に打たれたボルトのネジ溝までクッキリと解像しているのを確認できます。

 

Dsc03556

「鳥肌もの」なんて表現をしますが、本当に鳥肌が立つような妖艶な描写。均質な前後のボケが醸し出す絶妙な立体感と、極端にアンダーに振った露出を受け止める豊富な諧調。ポートレートにも使えるマクロレンズとしては、不動の人気を誇るTAMRON製90mmマクロレンズ(通称タムキュー)を思い出しますが、本レンズも相当に高いポテンシャルを秘めていそうな予感アリです。

 

Dsc03576

映像を邪魔しない良質なボケ像によって、合焦面だけが浮かび上がる特徴的な描写を見せます。ミラーレス一眼への特化で旧来のシリーズとは似ても似つかない光学系を手に入れた本レンズには、レンズ内手振れ補正機構が内蔵されないので、ボディー内手振れ補正を前提とした設計と言えますが、そこには究極の光学性能を手に入れる為の取捨選択もあったのだろうと想像できます。

 

Dsc03229

開放絞りはf2.8。口径食の影響も悪目立ちはしない印象でしょうか。周辺では丸ボケに多少の変形を認めますが、エッジの柔らかいボケ味も功を奏し癖はほとんど感じません。ピントの合った紅葉の葉と背景の葉の間に感じる空気感も良い感じです。標準系のマクロと比べボケの大きな中望遠のマクロは、画面整理がやり易くマクロデビューにもおすすめです。

  
Dsc03243

わずかばかり木漏れ日の当る巨木に寄り添う蔦。かなりの悪条件ですが、ボディー内手振れ補正を頼りに撮影にした一枚。105mmレンズとしては長めの外観を有し、フード無しでも全長は約135mm、フード装着時の姿は200mmクラスのレンズに。しかしながら細身な鏡筒は遊びの無い極上のマニュアルフォーカスの操作性も加わって、微妙なピント調整が必要な接写時の保持バランスはなかなかの物です。
 
 

プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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