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M.ZUIKO DIGITAL ED 100-400mm F5.0-6.3 IS

 マイクロ4/3フォーマットのデジタルカメラをリリースするOMデジタルソリューションズ(旧オリンパス)とPanasonicの両雄からは、魚眼レンズから超望遠レンズまで、非常に多彩なレンズがリリースされています。仮に両社のレンズラインナップが双方ともに同じレンズで固められていたのならば、OMにはOMのレンズを、パナソニックにはパナソニックのレンズをセットしてしまえば事は足りてしまい、マウントが共通である事のメリットがあまり生かされなくなってしまいますが、両社のカタログを覗くと、標準ズームレンズなどの一部を除いて、焦点距離や解放f値が少しずつ違うラインナップとして展開されている事に気が付きます。無論多少の意思疎通があっての結果とは思いますが、我々は単純計算で2倍と膨らんだラインナップからレンズを選択できるという喜びがある一方で、毎回取捨選択を迫られるという悩み直面する事になります。

 実際、35mmフルサイズ画角で200-800mmという望遠~超望遠を一本でカバーする100-400mmのズームレンズにおいては、レンズ全長・口径ともに肥大化しやすい超望遠レンズであっても、フルサイズ用レンズ比で圧倒的に小型化されるというマイクロ4/3フォーマットならではのメリット発揮できるため、OMとパナソニック、二つのブランドから同一焦点距離ではありつつ、若干スペックに差異を持って商品が展開されています。無論、ボディーとブランドを合わせて購入してしまうのが「安牌」なのは分かりきってはいるのですが、隣の芝生が青く見えるのも世の常、人の業。悩める事もまた喜びとして、ここはしっかり悩んでみるのが吉でしょう。

 さて、野鳥、モータースポーツ、鉄道、航空機等、被写体への接近ができない、もしくは容易でない撮影において絶対的なアドバンテージを誇る本レンズは、近年進歩が目覚ましい手振れ補正機能のアシストを活かし、手持ちでの800mm画角での撮影をいとも簡単に可能とします。さすがに1/125秒以下のシャッターで全てのコマをブラさずに・・・とはいきませんが、EVF表示も安定しますのでいわゆる歩留まりの良い撮影を行えます。上位機種の高速連写を併用すれば正に鬼に金棒でしょう。さらに電子シャッター利用時はメカシャッター作動に伴う振動もなくなりますので、ローリングシャッター歪みが問題になりにくい被写体であれば積極的に活用したいものです。PROシリーズでのキレの良い(というかキレすぎる)画像を見慣れていても、遜色のない合焦面のキレは必要にして十二分で、1~2段程絞り込めばピクセル等倍で確認しても超望遠域での撮影を疑う程にシャープな結像をします。状況によって後ボケはやや硬めな印象も受けますが、もともとのボケが大きいですから気になる場面は少ないでしょう。100mm側での解放はf5と、Panasonic製100-400のf4より僅か控えめですが、どちらかと言えば400mm側が使用前提での購入候補となるレンズでしょうから、影響は少ないと言えます。PROシリーズの特徴でもある便利なフォーカスクラッチは未装備ですから、MFでピントを追い込みたいユーザーには減点かもしれませんが、描写性、携帯性、操作性どれをとっても高いレベルでまとまった秀作レンズと言って間違いないでしょう。

 そして何より一日持ち歩いても三脚座が手に食い込まないのが、Panasonic製100-400と比べて最大の利点だったかもしれません。(三脚は一度も使わなかったですケド) 

 

P1177068

半逆光でもクリアな描写です。最近のレンズのコーティングはほんと優秀ですよね。背景のボケは二線ボケの傾向があり硬めな印象ですが、この辺りはPanasonic製の100-400に似ています。

 

P1176031

斜光を浴びたTVアンテナ。小さな画像でも本レンズの高いシャープネスはしっかり伝わるかと。少し絞っただけでこの描写ですから、鉄道や航空機といった硬質な被写体と相性はきっといいのでしょうね。

 

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公園内の街灯をスナップ。ほぼテレ端の撮影です。拡大していくとフィラメントの影やポールの部品など、非常に細かい部分までしっかりと解像しているのが分かります。シャープネス至上とは言いませんが、被写体によっては仕上がりを左右する事があるのも事実です。

 

P1177195

前ボケは後ろに比べ柔らかい感じでしょうか。おそらく戦時下からの遺構ですが、立ち入りが出来ない為、超望遠での切り取りに挑戦。夕刻でかなり暗かったのですが、レンズの軽さと強力な手振れ補正に助けられました。

 

P1177048

水の描写からもシャッタースピードが決して速くない事はお分かりいただけると思います。夕刻・超望遠・手持ち撮影、フイルムの時代では考えられなかったシチュエーションでの撮影をいとも簡単にこなしてくれました。

 

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さすがの手振れ補正も被写体ブレは天敵です。超望遠域の撮影ではそよ風さえも難敵に。小刻みに高速連写をして「当り」のコマを射止めます。質感の表現も上々です。

 

P1177116

望遠レンズの「圧縮効果」を生かして撮影。近年は肖像権の問題で人物のスナップ撮影には色々と神経を使ったりもしますが、望遠レンズの浅い被写界深度と、コロナ禍でのマスク外出のおかげ?で、これなら「個人の特定」には当たらないでしょう。

 

P1177063

普段は広角レンズでこういった被写体を撮影することが多いのですが、今回は望遠レンズでチャレンジ。背景の枝をぼかして撮影しましたが、存外面白い画になりました。最近のスマホでは、背景のボケをデジタル処理で生成してしまいますが、それもそう遠くない未来には当たり前になってしまうんでしょうか?
 

 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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