For CONTAX SLR Feed

CONTAX Macro Planar 60mm f2.8(C) MM-J

 私とZeissとの付き合いを決定づけたレンズが、Distagon35/1.4とこの60mmのMacro-Planarです。

 60mmで撮影された写真を初めて目にしたのは、プロカメラマンへの淡い憧れを抱き始めた中学生の頃でした。当時は馴染みのないその焦点距離と、愛用していたNikon製のレンズとのあまりにかけ離れた販売価格、そしてレンズ毎に与えられていた奇妙な呼び名に対して、単純に「疑念」を覚えた事を記憶しています。描写特性などというものは理解どころか興味もなく、ただその摩訶不思議なレンズによって撮影された一枚の写真とその疑念とが記憶の片隅に残っただけでした。

 写真を学ぶ大学に入り、多種多様な写真と触れ合う機会に恵まれる中での出来事です。授業中プロジェクターによって投影されたクラスメイトの写真を見たある日、あの過去に見たMacro-Planarの映像が、突如記憶の淵から呼び起されました。聞けばそのクラスメイトのカメラは「CONTAX」だと言うのです。どうやら過去にかけられたZeissの魔法が、長い時間をかけて私を完全に虜にしていたようなのです。以降、機材の大半がデジタルで占められる今となっても、新しいレンズを評価する際は、必ずこのレンズの描写を判断の基準とする癖が抜けないでいるのです。

 開放から、いかなる撮影距離でも抜群の結像性能を持ち、かつ他製品とは一線を画くと言ってもよいほどに美しいボケを伴います。絞り込んでも変に堅くならない優れた描特性は、f値を考えなければ常用標準レンズといっても過言ではないでしょう。実際、開放付近では少々クセが残る50mmのプラナーに代わり、私のシステムでの標準レンズを長い間努めていました。また、60mmという焦点距離のため適度に緩和されるパースペクティブは、ポートレートレンズとしても優れた一面を発揮します。

 外観の高級感は一級品ですが、非常に大柄で、ピントリングの回転角も大きくなるオリジナルのMacro-Planar。等倍撮影にさえ拘らなければ、小型軽量なCタイプで十二分にMacro-Planarの魅力を感じることが出来るでしょう。

 

 

Img0005

機材の主流がデジタルとなった今では、仕上がりのイメージはほぼ現場で掴むことができます。慣れてしまったこの「当たり前」がフイルム時代は「夢」の一つでした。そんな中、本レンズは現像後に「期待外れ」だった事が非常に少ないレンズでした。むしろ「期待以上」に驚かされることも多かったと記憶します。

 


Img0019

前後のボケ味は、溶けたり、滲んだりする感じのないしっかりとしたボケ像を作ります。Cタイプは最大撮影倍率が1/2となりますが、文献やスライド複写をする訳ではありませんので、自分にはピッタリのレンズでした。

 

Img0041

麦秋の頃、夕立にも似た突然の降雨が止んだ麦畑で一枚。その場の湿度を伝えるかの様な描写です。

 

Img0004

まるでテストチャートみたいな被写体。ボケ像は少し固めな印象を受けますが、前後のボケ方に差が少ないので立体感・遠近感を自然に描写してくれます。周辺まで画質が均一なのも「マクロ」を冠する本レンズの美点です。

 

Img0026

解像度は高い筈ですが、描写があまり硬くならないのでポートレートでも重宝しました。適度な遠近感の圧縮があり、もちろん近接撮影能力もあるので高い汎用性をもった「標準」として活躍してくれました。

 

Img0027

実物は人の小指ほどの大きさしかないシダ類の若葉。マクロレンズは普通のレンズでは出会えない被写体との邂逅をもたらしてくれます。重量級レンズの多いコンタックスレンズ中で常時携行可能となる軽量な点はCタイプの特権となります。

 

CONTAX Tele-Tessar 200mm f4 AE-G

 近い焦点距離に復刻オリンピアゾナーでもある名高いSonnar180mmf2.8を控え、Vario-Sonnar80-200mmf4という強力なズームレンズのライバルの出現以来すっかりと出番を無くし、雑誌などでも過去にあまり紹介された記事を見たことがない200mm。販売期間の短さも手伝って中古カメラ店でもその姿を希にしか見ることができないTele-Tessar200mmは、描写性能追求のため一般的に大型化、重量増加しがちなZeissレンズラインナップ中Sonnar85mmなどと並び小型軽量の部類に入ります。

 その構成枚数の少ない無理のない設計のためか、非常にクリア且大変に艶のあるい色ノリの画像を提供し、「開放F値の暗い=廉価版」というイメージは一切漂わせません。開放から切れ味の鋭い描写がウリのSonnar180mmとは違い、開放絞り付近では丸み、暖かみを帯びた絶妙な描写をします。望遠レンズ特有の大きなボケもガサついたところが無く、深度の浅い合焦部を美しく引き立てます。

 ズームレンズとはいえ非常に優秀な結像性能を誇る80-200mmと比較し、コストパフォーマンスで見劣りこそしますが、手放した過去の自分に少々の後悔を覚えます。ISO感度を自由に操れるデジタルカメラにおいては、f値一段分よりも、その小型・軽量な鏡筒が大きな武器となるでしょう。Sonnar85mmやDistagon35/2.8とともに、Zeissのスモールレンズが脚光を浴びる時代がやってきたのかもしれません。

 

 

Img00382

200mm相当の画角は標準ズームに内包されていることも多い昨今ですが、自分が写真を始めた当初は憧れの焦点距離の一つでした。単焦点の200mmは、肉眼では想像が難しい世界が突然ファインダーに出現するので、ズームレンズの200mmとは少々違った印象があります。構成もシンプルで小型・軽量なレンズですから長時間手持ちで覗いていても疲れません。

 

Img0034

「鷹の目」とも称されたオリジナルTessarの子孫らしいシャープな結像です。手の届かない遠景をシャープに切り取るのが望遠レンズの真骨頂。

 

Img0001

絞りを開けると丸みのある艶っぽい描写に。ボケ像も柔らかく、色のノリが良いのでこういった被写体にも絶妙にマッチします。しかしながら、最短撮影距離は決して短くはない1.5メートルと、同じくコンタックスのVario-Sonnar 80-200mmの1メートルと比べてなんとも微妙です。でも、この写り方、好きなんですよね。

 

Img0008

今風に言えばオールドレンズらしいという言葉になるのでしょう。今となってはズームレンズでさえ、もっとキレ味の鋭いレンズに沢山お目にかかりますが、なんとも癒されるこの描写にやはり捨てがたい魅力を感じてしまいます。

 

 

CONTAX Planar 85mm f1.4 MM-J

 伝説・信仰・崇拝といった言葉が常につきまとうCONTAX/Carl-Zeissの看板レンズ。

 CONTAXを使うなら必ず購入候補に入るレンズですから、中古市場でも比較的容易に探すことができるでしょう。コレクション目的での入手が多いためなのか、新品同様品の出現確率が案外高いレンズでもありますから、根気よく探せば、コンディションの良い状態の中古が手に入ることもあります。しかし、フルサイズのミラーレス一眼も出揃ってきましたから、アダプター撮影用にと、また相場が上がってしまうかもしれませんね。

 開放絞りでの何とも言えない甘い描写は、ややもすると単にピント外れの印象しかあたえず、極端に浅い被写界深度とあいまって、ピリッとした画面を作るのに一苦労します。また、85ミリにしては1メートルと少々長めの最短撮影距離は、しばしば撮影者の足手まといとなることもあるでしょう。そういった理由もあって、存分に使いこなさずに手放してしまう方も案外多かったのかもしれません。

 使い手と被写体を常にレンズが選ぶところがあるように思える、このジャジャ馬レンズで傑作を物にするのは至難の業なのでしょうか?。しかしながら、このレンズでモノにした作品は、明らかに代え難い魅力を放ちます。それはあたかも、こちらがどんなに惚れこんでも決して振り向いてはもらえないくせに、垣間見せるその微笑みからは決して逃れられない・・・そんな初恋の相手を思い起こさせる、もどかしいレンズです。 

 

 

Img0024

ヤシカ/コンタックス時代を代表する85㎜のプラナー。レンズ内周を埋め尽くすガラスの塊を覗き込むと、異世界へ誘われているような錯覚に陥ります。繊細な合焦部と前後になだらかに広がる美しいボケは、数多の大口径中望遠レンズの中でもやはり特筆するべき一本なのでしょう。

 

Img0044

唯一の欠点といえるでしょうか?最短撮影距離は約1メートルと、85㎜レンズとしてはやや長めです。この美しいボケをもう少し寄って使用するために7.5㎜という極薄の中間リングを挟み、無限側を捨てて使用。自動絞りに連動しないこの純正中間リングは、やはり特殊な為かオート接写リングセットとは別扱いで単品販売されていました。ひょっとしてこの85㎜の為に用意していたのでしょうか?

 


Img0015

遠景を少し切り取って撮影するのにもこの焦点距離は重宝しました。絞るとピント面はさらに精緻となり、引き締まった画像を提供してくれます。

 

Img015

適度な遠近感の圧縮は中望遠ならではの特性。解放付近の柔らかな描写と合わされば、やはりポートレートなどがベストマッチですが、絞った端正な絵作りは、ご覧の様に風景撮影にもピッタリです。

 

CONTAX Planar 135mm f2 AE-G

 明るい開放f値を持つ高性能望遠ズームレンズの台頭により、望遠レンズの主役としての役目をそれらズームレンズに明け渡してしまうまで、135ミリという焦点距離のレンズは望遠レンズの花形でありました。  

 中でも、開放f値を2とする大口径レンズは、望遠レンズラインナップのフラッグシップとして各メーカーの心血を注いだ傑作レンズが多く、それぞれが数多くの伝説を生んでいます。それは、CONTAXブランドにおいても例外ではなく、このPlanar135mmf2も様々な逸話に溢れています。販売本数の減少でコンタックスレンズの販売終了を待つまでもなく、ラインナップからは削除されこそしましたが、CONTAX60周年記念販売品として限定発売されたモデルは、デジタルカメラ用レンズ全盛の現在でもかなりの高値で取り引きされることも少なくない、幻のレンズとなっています。

 開放では、適度な解像感とやわらかな質感が絶妙なバランスを見せ、薄いベールをまとったかのような美しい前後のボケとともに、主要被写体を美しく浮き立たせます。絞り込めば、一段と先鋭度と色のノリを増し、針の穴をも通す様な繊細で切れ味鋭い画像を提供してくれます。伝説の中に閉じこめておくのは余りに惜しい、このレンズの本当の所有権を得ることができるのは、いったい何時の日になるのでしょう。

 

 

Img0028

ピントの合った部分のシャープネスは解放から十分に高く、それでいて少しソフトフォーカス気味に弱い滲みが発生します。かといって、完全なソフトフォーカスと言う訳ではなく、絹のベールを纏ったかの様な独特の描写が非常に心地良く、とにかく解放で撮影したくなります。

 

Img0030

ボケがうるさくなりがちな小枝の後ボケですが、ボケるというよりは、コントラストを下げて滲んで溶けていくようなイメージです。水彩画の手法のような独特なボケは85㎜のプラナーのボケ+αの繊細なタッチです。

 

Img0025

絞り込んでゆくと、みるみるコントラストが上がり、周辺まで非常にシャープな結像をします。最新の高性能ズームレンズには無い二面性が、この手のレンズが現代でも人気が高い理由でしょうか。普段持ち歩くには大柄で重量もかさみますが、レンズ2本分の仕事をしてくれると思えば多少は我慢できるということで・・・。

 

Img0029

遠景の描写も、やはり独特です。枝一本一本がきっちり解像されながらも、バリバリのシャープネスという訳ではありません。f2という明るさも、日没後の薄暗い状況ですが手持ち撮影を可能にしてくれました。

 

CONTAX Distagon 18mm f4 MM-J

 このレンズは、国産メーカーと比較して高価な価格設定が多かったコンタックスレンズの中にあって、珍しく「バカ高い」といったイメージがなかった貴重なレンズです。

 コンタックス・ヤシカマウントの中では、比較的古参の部類に入り、新設計のDistagon21ミリが投入されるまでは、超広角レンズの中堅を担う代表レンズでした。それ故に、過去に数多の写真家が優れた作品を残した名レンズであり、日本においてZeissレンズの評価を不動のものとした立役者であったとも言えます。

 設計の古さ故、開放f値が4と控えめで、フィルターやフードの取り回しにも若干の制約を受けますが、その古さを感じさせないヌケのよい画像が印象的でした。そして、絞っても適度なウエット感を残し「カリカリ」にならないその描写はモノクロ向きのレンズなのかもしれません。良く補正されたディストーションは、超広角特有の強烈なクセを感じさせず、ひたすらに只、広さだけを感じさせる広角レンズといった感覚で、ファインダーに写り込む全てを優しく包み込んでいました。

 残念ながら、最新の21ミリと比較すると解放f値や解像度の差からファインダーでのピントの山がややわかりずらく、低照度時のシャッタースピードに制約が生じる為、21ミリ購入と同時に手放してしまいましたので、この手元にあった時間がごくわずかでした。もし可能であるならば、デジタルでこの優しい描写を再び味わって見たいものです。

 

 


Img0020_2

現在ではフルサイズでの18mmの画角は大三元の広角ズームでは至極当たり前になっていますが、本レンズの登場時点ではどちらかと言えば特殊なレンズでした。明るさをf4としたことで、ファインダー画像はお世辞にも明るくはなかったのですが、歪曲収差や周辺光量落ちなどの欠点も少なく、癖を感じない素性の良さを感じるレンズでした。

 

Img0021

カリカリの描写にならず独特のやさしさを持った描写。当時は21mmのあまりに鮮烈な描写にアテられて売却をしてしまったのですが、齢を経た現在ではこのちょっと懐かしい感じの描写に再び惹きつけられていたりもします。

 

CONTAX Distagon 15mm f3.5 AE-G

 定価70万円。

 今の職場にいなければ、手にするどころか実物を目にすることも叶わぬ、そんな幻のレンズです。500ミリや600ミリなどの超望遠レンズには同価格帯の物や、それ以上の物も多く存在しますが、これらに比べ超広角レンズという特異性のため、圧倒的に市場への流出数が少ないこのレンズを、自らが購入せずにテスト撮影を許されるというのは、まさに役得以外の何物でもないでしょう。

 画角のあまりの広さと、突き出た前玉故、自分の真横にある太陽さえゴースト発生の要因としてしまい、少しでもカメラを傾けよう物なら、あらゆる被写体をデフォルメしてしまいます。使いこなすどころか、普通に写真を撮ることさえ難しく感じます。しかしながら、この画角にしては十分に補正された歪曲収差により不自然な歪みは全く感じられず、発色もクリアそのものです。特筆すべきはシャドーの階調の豊富さで、画面周辺まで像の流れを見せない良好な解像力と相まって、映像の強烈な印象だけにとらわれない非常に端整な映像を描き出します。

 残念ながらたった一日の試用でしたので、次回は違う季節に店頭に並んでいることを願いたいのですが、ちょっとズルイやり方ですかね(^^; 

 

Img0013

高速道路を側道から見上げて撮影。相手が巨大な被写体だと超広角レンズらしさってあまり感じないものですね。実際この場所で見上げると、この写りと相当かけ離れた被写体に驚くかもしれません。

 

Img0012

寺社境内の竹林です。ほぼ真上を向いても地面が写り込むほどの画角の広さに驚きます。さすがに画面周辺部には若干像に流れを感じますが、この強烈な遠近感と逆光耐性の高さは癖になります。

 

Img0014

被写体として空が似合います。ハイライト基準でかなり露出を切り詰めましたので、藍で染めたような美しい色調になりました。構成枚数は少なくはありませんが、濁りの無いクリアな発色です。

 

CONTAX Fish-Eye Distagon 16mm f2.8 AE-G

 写真レンズには、実際には実現困難で、それはある種の理想でしかないのかもしれませんが、「直線は直線に」「点は点に」「平面は平面に」写さねばならないという設計上の大前提があります。

 しかしながら、その最前レンズが大きな弧を描く独特のスタイルと描写特性から「魚眼レンズ(Fish-Eye)」と呼ばれ、180度以上という画角をフィルム上に納めるために、あえて直線を直線として写さない設計を施されているものがあります。

 天頂を向けると、360度全ての地平線が画角に収まる円形の画像を形成し、主に天体観測や気象観測などの分野で利用されるいわゆる円周魚眼は、あまり一般用途とは言い難いのですが、このレンズのように、一般レンズと同じ24x36ミリの長方形画像を形成する焦点距離15ミリや16ミリの通称,「対角線魚眼」と呼ばれるこの種のレンズは、その画像の強烈なイメージから特殊用途ではありながらも作風に変化を付けるめ、その的確な利用法を見いだす愛用者も多い様です。

 特殊レンズ故、描写性能には余り期待を持っていなかったのですが、恐ろしいほどのシャープネスとクリアな発色が、180度という未知な画角とともに、鮮烈なイメージを描き出し、画角上太陽が直接画面内に入る事態が多いのにも関わらず、ゴースト、フレアの発生は非常に少なく、Tスターコーティングの実力を改めて思い知らされました。

 極度に強調された遠近感と、大きく湾曲した地平線等、その画像の強烈な印象に捕らわれがちですが、この「味の素」臭さを脱却する事が出来れば、このレンズの魅力は、もっと計り知れないものになるでしょう。持ち手の技量を量る、そんなFish-Eye Distagonです。 

 

Img0003

極端に画角が広いレンズですから屋外で使用する場合、晴天であれば多くの条件で太陽が画面内に入り込みます。ゴーストやフレアの発生が危ぶまれる状況ですが、多少の工夫でそれらを排除できるのはやはりコーティングの優秀さがあってのことでしょう。

 

Img0006

真夏のピーカンでしたので、もっとコントラストの強い映像を想像していたのですが、思った以上にあっさりした描写となりました。頭上の樹木まで写り込む広大な画角はファインダーを覗いてみるまでどんな風に写るか分からないビックリ箱の様な楽しみがあります。

 

Img0004_2

カメラ位置を変化させると、想像以上に摩訶不思議な画像が得られるのが対角線魚眼レンズの特徴。なんだかミニチュアの地球の上に乗っているかのようなトリッキーな映像に出会えました。

 

Img0005_2

タイミング良く飛行機雲が現れました。見上げた空が湾曲した地平線の影響で宇宙から見た地球の様にも見えてきます。映像の癖の強さ故に飽きを感じてしまうこともあるのですが、確実に映像のバリエーションを増やしてくれるので、とても悩ましいのが対角線魚眼です。

 

CONTAX Distagon 21mm f2.8 MM-J

 「禁断のレンズ」Distagon21ミリ。

 一般的には長焦点レンズで問題となる色収差。それを低減させる為に用いられる低分散ガラスをその光学系に用いたため、書籍「Only Zeiss2」中では「APO Distagon」と詠われ他メーカーの同クラスのレンズと比較して、大きさ、重量では約2倍。価格に至っては3倍近くをカタログ値でマークします。

 フィルターサイズも82ミリと巨大で、外見からは超広角レンズというより,むしろ望遠レンズの風格さえ感じさせ、その存在感も一級の物を持ちます。設計の上で、携帯性や、価格よりまず第一に描写性能を求める、Zissの設計思想を改めて思い知らされるこのレンズの描写は、一度味わってしまったら最後。あとは、手持ちの不要機材を全て処分してしまで購入しなければないほどの、強烈な所有欲をかきたてます。

 開放から凄まじいピントのキレを見せ、周辺部まで均一な画像を形成します。広角レンズでは形を崩しがちな前後のボケも、近距離から文句無く、美しく合焦部を引き立てます。f2.8のもたらす眩しいほどのファインダー像は1/4秒を切らねばならぬような室内撮影でも確かなピントを約束してくれます。構成枚数の多さと、どうしても写り込みやすい太陽の為の逆光時のゴーストは、ほんの愛嬌と言えるでしょう。

 

 

Img0008_2

21mmといえども、至近距離では案外ピント合わせがシビアになります。フイルムの特性もありますが、こってりとした色のノリを感じる「らしい」写りです。

 

Img0031

歪曲収差も抑え込まれており、直線的な被写体への対応も文句はありません。同社18mmはファインダーでのピント合わせに少々戸惑う場面も多かったのですが、本レンズはf2.8の明るさもあって、ピント合わせが非常にやりやすい印象がありました。

 

Img00372

広角レンズで問題となりがちな倍率色収差。デジタルではあらかじめレンズプロファイルの登録によって画像修正で影響を抑え込むのが現在のセオリーでしょうか。周辺まで細かい被写体が連続するシチュエーションでは、光学系の補正のみで倍率色収差を解決する「APO Distagn」の実力が試されます。

 

Img0036

構成枚数の多い広角レンズでの逆光撮影とは俄かに信じがたいヌケの良さ。ゴースト・フレアの発生は皆無とは言いませんが、それに悩まされる事は案外多くはありません。

 

Img0039_2

f2.8と比較的明るいレンズですので、日没間際の時間帯でもファインダーでのピント合わせには苦労しません。低速のシャッタースピードを使う時は、大柄のレンズであることがかえってホールディングの安定に寄与してくれる場面もありました。

 

 

CONTAX Distagon 25mm f2.8 MM-J

 Distagon21ミリほどの強烈な印象があるわけではなく、35ミリほどの万能性があるわけでもありません。比較的古い設計にあたるためか、開放付近では周辺光量も真面目に落ち、発色もどちらかといえば渋い方でしょう。f2.8という明るさも、とりわけ明るい部類ではなく、他メーカー製品と比べ約二倍の8万円超の価格設定は、購入するのに少々勇気が必要かも知れません。

 しかしながら、どういう訳か撮影時には迷うことなくこのレンズを携行している自分に、実は最近気がついたのです。

 カタログ値には現れない、描写上の底力とでも言いましょうか、25ミリでモノにした作品に、共通するある種の安堵感のような物を感じるのは、私だけでしょうか?その焦点距離が自分にとって使い慣れ、親しんできた時間が長いという理由だけでは到底説明の出来ないこのレンズへの信頼感は、やはりZeissレンズならではのものではないでしょうか。

 

 

Img0027_2

もともと澄んだ流れの梓川(上高地)ですが、フイルム上にも一切の濁りなくその姿を記録してくれました。スペック上には尖った部分の無いレンズですが、その仕事は一流です。

 

Img0038_2

逆光でも大きな画質の乱れはありません。Tスターコーティングの優秀さが実感されます。地面に張り付いて撮影した一コマですが、周囲からは完全に「不審者」ですよね。

 

Img0019_2

普段はあまり保護フィルター以外のフィルターは使いませんが、青空があまりに美しかったので偏光フィルターを使用。効きすぎて嫌味が出ないよう回転を調整して数カット撮影した中の一枚です。

 

Img00112

現在は鉄道遺構として綺麗に整備されてしまった変電所跡。学生時代はいわゆる「廃墟」化しており、地元に戻った際には時折赴く撮影スポットでした。目につく際立った描写特性の無いレンズですが、その仕上がりに落胆することのない不思議なレンズでした。

 

Img0009_2

廃線後の碓氷峠。少年時代はまだ運行中だった列車を撮影するため、鉄道写真好きだった知人の父上に同行して何度か訪れた懐かしい場所です。あの時は必死で車両写真を撮りまくっていましたが、時間とともに好みの被写体がずいぶんと様変わりしたものです。

 

CONTAX Distagon 35mm f1.4 MM-J

 フィルムでの撮影時、もしレンズを一本だけ持って行くのだったら迷わずこの35ミリを選ぶでしょう。

 f1.4の明るさは大抵のシチュエーションでの手持ち撮影を可能にし、ずば抜けた近接撮影時の能力は、簡単なマクロ撮影までこなします。開放付近では微妙な甘さを残した 合焦部分と、なだらかにつながるボケが人物を美しく捉え、f5.6まで絞ればレンズを交換したかのように素晴らしい色のノリとピントのキレを見せてくれます。フローティング機構の影響からか、撮影距離によっては若干背景のボケがうるさく感じられ る場面もありますが、そんな些細な欠点を補って余りある魅力を持つ、私にとっての万能レンズです。

 開発当時疑問視されたと言われる非球面レンズの導入ですが、今日高級レンズだけにとどまらず、多くの写真用レンズに非球面が導入されていることから考えても、Zeissの設計理念が決して間違いではなかった事が証明されたと言えます。

 常用携行レンズにするには、大柄の鏡筒と、ややもするとボディーよりも高額出費になりやすい価格設定は、決して万人にお勧めできるレンズとは言い難いのですが、デジタルが主流になり、中古相場が非常に下がっている今、Zeissの魅力を実感してみたい方は、まずこの一本をお使いになってはいかがでしょうか。

 

 

Img0002

条件によっては後ボケに多少のクセを感じる事もありますが、近距離から合焦面のキレの良さは一級品。大きさ・重量からすれば普段使いとは言い難いレンズなのですが、長らく私の「標準レンズ」となりました。

 

Img00092

逆光時の性能も高く、いじわるな条件下でもゴーストやフレアに困る事の少ないレンズでした。函館に旅行した際の一枚ですが、本レンズ、21mm・マクロ100mm・85mmのPlanar、そして予備のボディーと、なかなかのヘビー級機材でした。今ならちょっと躊躇う重さです。

 

Img0012_2

標準レンズとして随時携行していましたので、街頭スナップにも重宝しました。MFではありましたが、f1.4の明るさはファインダーでのピント合わせがとても楽に行える為、小気味よく撮影が可能です。当時は同じ描写傾向を持ったf2クラスの小型レンズを望んでいましたが、結局はZFマウントの登場までお預けとなりました。

 

Img00282

シャッタースピードが落ち込む状況でf1.4の明るさは大きな武器になります。咄嗟に感度を上げられないフイルムカメラにおいては、高い性能を維持したまま躊躇なく絞りを開けられる本レンズの存在は大きな保険になりました。

 


プロフィール

フォトアルバム

世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

PR



  • デル株式会社



    デル株式会社

    ウイルスバスター公式トレンドマイクロ・オンラインショップ

    EIZOロゴ