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犯人の特定

 パソコンの自作を始めてから、20年という月日を裕に数えるでしょうか。ペンティアム4(ノースウッドコア)から始めたPC自作は、ペンティアム4(プレスコットコア)、ペンティアムD、コア2Duo、コア2Quad、アスロンX4、フェノムX4、AMD-FX8350、Core-i7(3770)、Ryzen2600X等と、CPUのメーカーを跨ぎつつ、自分のPCに収まらず、親族や知人、会社のPCを含めると作成したPCは、すでに両手・両足では数えきれない程になりました。

 おかげ様で?、ソフト・ハードともにそれなりの知識を得て、大概のトラブルは自分で解決できるスキルは身に着けてきたのですが、現在のシステムへ変更してからどうしても解決できない謎のトラブルに遭遇していました。

それは、

Windows10の起動に、思った以上に時間がかかる。

といったものです。

OSをインストールしてある起動ディスクは、RAID運用を除けば、現状速度重視の最適解と思われるM2.(PCI-e)インターフェイスのNMVeのSSDですので、スペック的に遅くなるとは考えられません。

無論、メインで活用しているPCですので、メインメモリは8Gx4の32GB、スクラッチ用とライトルームのカタログ用にSATAのSSDを各一台。データ用に2TBのHDDを2台接続というなかなかにヘビーな運用をしていますが、多分これは常識?の範囲内。メモリーチェックに多少の時間がかかるとはいえ、PC-98の頃とは時代がちがいますので、それも無視できる範囲かと。

ネット上の記事では20秒程で起動する報告の多いSSDにかかわらず、当マシンは40-60秒程度、起動の度に待たされておりました。20秒程度の差なんて、オトナシク待ってれば良いのでしょうが、そこは、自作派のゴーストが囁くのです。

何かがおかしい。

で、SSDのファームやら、アライメントの不整合やら、チェックディスクやら、Windowsのアップデートやら、思いつく原因をシラミ潰しに消していったのですが、結果変わらず暗礁に乗り上げ、まあ、起動が遅いだけなので(ベンチの結果は正常)このまま使えばいいやと思っていたのですが・・・・

別件でネットサーフィンをたしなんでいたところ、「SATAのケーブルが原因」で起動が遅くなっていた事があるというブログの記事を発見。慌てて、接続してある各ドライブの接続を確認したところ、とある一台のHDDの接続を外すと起動が早くなることを突き止めました。

幸い、自作派の自宅には余ったSATAのケーブルなんて当たり前に転がっていますので、すぐさま交換して起動。

「遅いじゃん・・・・・」

SATAのコネクタが原因かとも思い、マザー上の接続コネクタを別の所へ変更。

「遅いじゃん・・・・・・・・・」

こうなると、犯人はケーブルではなく、HDD自体ということに。結果、どうやら起動を遅くしていたのは写真データを保存していたHDD「WDのWD20EFRX」という、NAS向けのREDシリーズに属するHDDにあったようです。もちろん、調査環境が限定されているので、HDD自体が原因なのか、チップセットが原因なのが、故障なのか、各々の相性なのか、呪いなのか、血中コレステロールなのか、、、、真相は今一つなのですがHDDを一般モデルへ変更したら、問題は解決しました。 WDのHDDといえば、数年前に「低速病」という、パフォーマンスが異常に低下する事象がネットを騒がせましたが、今回の関連性は不明。 HDDはメーカーや品番を問わず、事故が発生すると大事なデータの損失など、その影響があまりにも大きいので、特定メーカーの不買運動などにも発展しかねませんが、所詮機械ものですので、どんなメーカーのどんな製品であっても、突然のトラブルに備えるよう日々のバックアップが重要なのでしょうね。 今回の事象がどなたかの役に立つこともあるでしょう。

もし、同じ悩みの方がいましたら、何かの参考になれば幸いなのです。

今回の犯人?はNAS向けということで、24時間連続運用を想定したHDDですので、起動時のシークエンスが通常の製品となにかしら違ったりするんでしょうかねぇ。

HDD自体に問題はないようなので、換装後はフォーマットして外付けのデータ用ディスクとして活用することにしますです。

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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