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CONTAX Leica-L改造 Biogon 28mm f2.8

 俗に、必要は発明の母と言います。
 また、単なる無い物ねだりが時として優秀な発明の大きな原動力となってきたことが、人類史上では珍しいことではありません。
 

 何時の頃からでしょうか、その独創的な機構と工芸美溢れるデザイン故、ライカは 「ボディーのライカ」と言われ、対して、優秀な数学・物理学者による優れた設計と世界屈指の光学ガラスを用い優れた写真用レンズを供給してきたツァイスは「レンズのツァイス」と呼ばれています。両者が、お互いをライバル関係としていた背景もあり、ライカのボディーにツァイスのレンズを付けて撮影するという行為は、多くの写真愛好家にとって、それはある種の夢とも言える「無いものねだり」の典型でありました。

 過去には、ライカスクリューマウント(L-マウント)用に供給されたツァイスレンズが数種類存在していましたが、いかんせん何れも製造が古く、試しで購入するにはその価格面から見ても余りにリスキーでありました。ですから、最新の光学設計でCONTAX-Gマウント用に、ツァイスがBiogon28ミリを発表した時に、それをライカマウントに改造できないかと考えた人物が、決して少数でないことは想像に難くありません。

 しかしながら、かたやオートフォーカス専用に設計され、ヘリコイドや距離計に連動させるカムを持たないレンズを、ライカボディーで完全互換作動させることは、おそらく大変な試行錯誤の連続であったでしょう。それは、ライカ用レンズを設計し続けてきた「アベノン」だからこそできた、改造の域をこえた一つの発明と言っても過言では無いはずです。

 おいそれと中古市場には出現しないこの改造レンズを所有し、ライカのレンジファインダーを通して撮影できる一瞬は、愛好家にとって至福の時間となりましょう。ちなみに、その素晴らしい描写性能に関するコメントは「CONTAX G Biogon」の欄に譲るといたします。 

 

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非常に繊細で緻密な描写が周辺まで続きます。かといってこれ見よがしに高いシャープネスを見せつけるタイプの描写ではないのが良いところ。青空の発色も良い塩梅ではないでしょうか。 

 

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対称の光学設計は、歪曲収差の補正に効果的です。建築物の撮影などでも歪みを気にせず撮影できるので、M型ライカを携えての街中スナップに好適です。

 

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変わり種のレンズですので、街頭で撮影しているとカメラに興味のある御仁から時折話しかけられる事もあります。本来ありえない組み合わせなので、話に驚く御仁の顔を見ると自分の手柄でもないのに、なんとなく鼻が高くなった気がするのは、まだまだ人間出来ていない証拠ですかね。

 

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真冬の西日が射し込む公衆トイレの中です。被写体としてはちょっとアレですけど、光と舞い込んだ落ち葉が美しかったので休憩ついでに一枚。あ、ちゃんと手は洗いましたよ。

 

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廃校を控えた山間の小学校。児童の声が独特の反響を伴って聞こえる、あの懐かしい音。今でも目を閉じれば耳の奥にはっきりと残っています。近年では部外者がカメラを持って学校に入るには、なにか相応の理由がなければ難しくなってしまいましたが、機会があれば、こういった優しい描写のレンズを携えて母校を訪ねたいものです。

 

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小型のM型ライカと本レンズの相性は非常に良く、純正のElmaritよりも厚みがないので、肩から下げっぱなしにしても邪魔になりません。AF・モータードライブ付きCONTAX-Gシリーズを使いスピーディーに撮影するのも良いのですが、ピントリングや絞りをあれこれいじり、時にシャッターチャンスを逃したりもしながら撮影するのも案外楽しいものです。

 

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世界的に有名な写真家「ロバート・キャパ」の著書「ちょっとピンボケ」にあやかり、ちょっとどころか随分ピント外れな人生を送る不惑の田舎人「えるまりぃと」が綴る雑記帳。中の人は大学まで行って学んだ「銀塩写真」が風前の灯になりつつある現在、それでも学んだことを生かしつつカメラ屋勤務中。

The PLAN of plant

  • #12
     文化や人、またその生き様などが一つ所にしっかりと定着する様を表す「根を下ろす」という言葉があるように、彼らのほとんどは、一度根を張った場所から自らの力で移動することがないことを我々は知っています。      動物の様により良い環境を求めて移動したり、外敵を大声で威嚇したり、様々な災害から走って逃げたりすることももちろんありません。我々の勝手な視点で考えると、それは生命の基本原則である「保身」や「種の存続」にとってずいぶんと不利な立場に置かれているかのように思えます。しかし彼らは黙って弱い立場に置かれているだけなのでしょうか?それならばなぜ、簡単に滅んでしまわないのでしょうか?  お恥ずかしい話ですが、私はここに紹介する彼らの「名前」をほとんど知りませんし、興味すらないというのが本音なのです。ところが、彼らの佇まいから「可憐さ」「逞しさ」「儚さ」「不気味さ」「美しさ」「狡猾さ」そして時には「美味しそう」などといった様々な感情を受け取ったとき、レンズを向けずにはいられないのです。     思い返しても植物を撮影しようなどと、意気込んでカメラを持ち出した事はほとんどないはずの私ですが、手元には、いつしか膨大な数の彼らの記録が残されています。ひょっとしたら、彼らの姿を記録する行為が、突き詰めれば彼らに対して何らかの感情を抱いてしまう事そのものが、最初から彼らの「計画」だったのかもしれません。                                 幸いここに、私が記録した彼らの「計画」の一端を展示させていただく機会を得ました。しばし足を留めてくださいましたら、今度会ったとき彼らに自慢の一つもしてやろう・・・そんなふうにも思うのです。           2019.11.1

The PLAN of plant 2nd Chapter

  • #024
     名も知らぬ彼らの「計画」を始めて展示させていただいてから、丁度一年が経ちました。この一年は私だけではなく、とても沢山の方が、それぞれの「計画」の変更を余儀なくされた、もしくは断念せざるを得ない、そんな厳しい選択を迫られた一年であったかと想像します。しかし、そんな中でさえ目にする彼らの「計画」は、やはり美しく、力強く、健気で、不変的でした。そして不思議とその立ち居振る舞いに触れる度に、記録者として再びカメラを握る力が湧いてくるのです。  今回の展示も、過去撮りためた記録と、この一年新たに追加した記録とを合わせて12点を選び出しました。彼らにすれば、何を生意気な・・・と鼻(あるかどうかは存じません)で笑われてしまうかもしれませんが、その「計画」に触れ、何かを感じて持ち帰って頂ければ、記録者としてこの上ない喜びとなりましょう。  幸いなことに、こうして再び彼らの記録を展示する機会をいただきました。マスク姿だったにもかかわらず、変わらず私を迎えてくれた彼らと、素晴らしい展示場所を提供して下さった東和銀行様、なによりしばし足を留めて下さった皆様方に心より感謝を申し上げたいと思います。 2020.11.2   

The PLAN of plant 2.5th Chapter

  • #027
     植物たちの姿を彼らの「計画」として記録してきた私の作品展も、驚くことに3回目を迎える事ができました。高校時代初めて黒白写真に触れ、使用するフイルムや印画紙、薬品の種類や温度管理、そして様々な技法によってその仕上がりをコントロールできる黒白写真の面白さに、すっかり憑りつかれてしまいました。現在、フイルムからデジタルへと写真を取り巻く環境が大きく変貌し、必要とされる知識や機材も随分と変化をしましたが、これまでの展示でモノクロームの作品を何の意識もなく選んでいたのは、私自身の黒白写真への情熱に、少しの変化も無かったからではないかと思っています。  しかし、季節の移ろいに伴って変化する葉の緑、宝石箱のように様々な色彩を持った花弁、燃え上がるような紅葉の朱等々、彼らが見せる色とりどりの姿もまた、その「計画」を記録する上で決して無視できない事柄なのです。展示にあたり2.5章という半端な副題を付けたのは、これまでの黒白写真から一変して、カラー写真を展示する事への彼らに対するちょっとした言い訳なのかもしれません。  「今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。」これはキリスト教の聖書の有名な一節です。とても有名な聖句ですので、聖書を読んだ事の無い方でも、どこかで目にしたことがあるかも知れません。美しく装った彼らの「計画」に、しばし目を留めていただけたなら、これに勝る喜びはありません ※聖書の箇所:マタイの福音書 6章30節【新改訳2017】 2021年11月2日

hana*chrome

  • #012
     「モノクロ映画」・「モノクロテレビ」といった言葉でおなじみの「モノクロ」は、元々は「モノクローム」という言葉の省略形です。単一のという意味の「モノ」と、色彩と言う意味の「クロモス」からなるギリシャ語が語源で、美術・芸術の世界では、青一色やセピア一色など一つの色で表現された作品の事を指して使われますが、「モノクロ」=「白黒」とイメージする事が多いかと思います。日本語で「黒」は「クロ」と発音しますから、事実を知る以前の私などは「モノ黒」だと勘違いをしていたほどです。  さて、私たちは植物の名前を聞いた時、その植物のどの部分を思い浮かべるでしょうか。「欅(けやき)」や「松」の様な樹木の場合は、立派な幹や特徴的な葉の姿を、また「りんご」や「トマト」とくれば、美味しくいただく実の部分を想像することが多いかと思います。では同じように「バラ」や「桜」、「チューリップ」などの名前を耳にした時はどうでしょうか。おそらくほとんどの方がその「花」の姿を思い起こすことと思います。 「花」は植物にとって、種を繋ぎ増やすためにその形、大きさ、色などを大きく変化させる、彼らにとっての特別な瞬間なのですから、「花」がその種を象徴する姿として記憶に留められるのは、とても自然な事なのでしょう。そして、私たちが嬉しさや喜びを伝える時や、人生の節目の象徴、時にはお別れの標として「花」に想いを寄せ、その姿に魅了される事は、綿密に計画された彼らの「PLAN(計画)」なのだと言えるのかもしれません。  3年間に渡り「The PLAN of Plant」として、植物の様々な計画を展示して参りましたが、今年は「hana*chrome」と題して「花」にスポットを当て、その記録を展示させていただきました。もしかしたら「花」の記録にはそぐわない、形と光の濃淡だけで表現された「モノクローム」の世界。ご覧になる皆様それぞれの想い出の色「hana*chrome」をつけてお楽しみいただけたのなら、記録者にとってこの上ない喜びとなりましょう。                              2022.11.1

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